池宮城政明は15才の時から八木明徳先生のもとで剛柔流を習い始めた。同時に高校の空手部にも通っていた。部活でやっていたペアでの厳しい練習の後、若い池宮城先生は八木明徳先生の道場に急いで行くことが多かった。 「当時、練習は週5回、1日に4時間していた。」と池宮城先生は語っている。 写真:当時の空手部メンバーの写真。高校3年生で17歳の池宮城氏は1列目右から2番目。
沖縄、1970年。
八木明徳は剛柔流の開祖である宮城長順の高弟であり流派の伝統の継承者でもあった。 1986年、東京で八木明徳は勲四等旭日小綬章を昭和天皇から授与され、人間国宝に指定された。 若い頃から池宮城先生は八木先生の道場で流派の伝統を学んでいった。後に八木明徳は彼の空手の師匠だけではなく人生の師匠にもなり伝統的な剛柔流の秘伝を伝授した。 写真:本部明武館八木道場、1列目右-池宮城先生。2列目右から2番目-八木先生。
沖縄、1973年
若い頃に池宮城先生は組手を好んでやり他の道場や流派などから挑戦状がくればそれに受けたっていた。その過程で積み重ねた貴重な経験が彼の精神と空手をさらに強くしていった。 ときに池宮城先生は自分の経験をもとに作り出した技を見せている。伝統的な剛柔流とは違い独特なために池宮城流と呼ばれることがある。 写真:沖縄空手剛柔流、池宮城政明と総合キックボクシング日本ホーク級王座のシーザー武志*の対戦。
東京、1987年
* JSBA、WSBA、APKFによれば2つの段級でのチャンピオン。 現在シーザー武志はシュートボクシング協会の会長であり多数の映画に出演していた。
若いころ池宮城先生は多数の合宿に参加していた。このような合宿での練習はいろいろなところで行われていた山や森林、海辺など時に道場での練習と交互にやっていた。 合宿で自然と触れ合うことで日々抱えてる問題を忘れ練習のみに集中できることが大事であった。そのおかげで空手の精神、哲学をより深く感じ己の空手を強くできる。 写真:濡れたアスファルトでの練習。右端‐池宮城先生。
台湾、1973年。
友達や生徒、同僚に記念すべき出来事があれば池宮城先生は哲学的な書を書くことがある。このような書は思い出の詰まったプレゼントになる。 八木先生の影響を受けて池宮城先生は書道を好きになった。このような習練は空手の精神を支えている。 写真:新郎新婦に書をプレゼントしている池宮城先生。
ニューメキシコ、1988年
書道は精神鍛錬において重要な役割を果たしている。集中力、自己規制、美的感覚を必要とするからである。 筆を持つとき手首のちょっとした力加減で作品の質が左右される。 書道を極めていくことで空手で重要な集中力を鍛えることができる。 写真:実家で書道をする28歳の池宮城先生。
沖縄、1981年
ほとんどの格闘技で体重で区別されている段級が存在する。池宮城先生がやっている伝統的な沖縄空手にはこのような段級は存在しない。そのため股、リンパ節、目、喉などの急所を突く技が多い。 沖縄人でもあまり大きくない75キロの池宮城先生は剛力な打撃をもち自分よりはるかに体格が大きい相手でも難なく倒してしまう。 先生は多く旅をし剛柔流を世界に広めている。セミナーでは体格の大きい人が多く練習していく過程で先生は自分の技を磨き上げることができた。 写真:海外セミナーで指導している池宮城先生。生徒の一人は身長2メートル以上で体重が130キロぐらいである。
オーストリア、1987年
古い書物などを読めば空手の名人が拳一発で巻藁を壊すと書かれていることがある。今では本当かどうか確かめることができない。 池宮城先生はそれが可能であると証明した。先生の巻藁での練習は凄まじいものである。 池宮城先生は守礼堂が販売している巻藁を買ってからすぐに壊してしまう。道場の備品の交換は高価なため先生はその備品を強化している、巻藁の後ろには砂の入った袋をつけたり、バーベルを椅子において取り付けたり巻藁がすぐに壊れないためにいろいろな工夫をしいる。 写真:道場での池宮城先生の巻藁
沖縄、2018年
型は伝統沖縄空手で重要なものである。繰り返し練習することで体は移動方法、突き、受け、足払い、投げ技、関節技、などそこに含まれているものを覚えていく。そのためには継続的な練習が必要である。 池宮城先生は型の練習で速さ、力強さ、目立たなくすることを求めていた。 「型は2-3ヶ月で覚えられる。でもただ覚えて真似するだけではない。型の奥深さを理解するためには長年の鍛錬が必要である。同じ三戦(サンチン)でも白帯と数ヶ月やっている人、20年やっている人では違うものだ。」 写真:演武で十八手(セイパイ)を見せる池宮城先生。
沖縄、1995年
先生の書斎にはいろいろなものが保管されている巻物、トロフィー、表彰状や写真もある。その中にいろいろな年代のメダルもあるし、古い雑誌や新聞、アーノルド・シュワルツェネッガーのサイン入り写真もある。
池宮城先生は有名になろうとは思わなかった。先生の目標は正しい空手を世界に広めることである。そのため若いころから休まずに練習をして、色々な国を訪れ自分を成長させていた。 時間とともに先生の道場に海外からの生徒が来るようになり海外でも支部を設けるようになった。現地のマスメディアからも注目されるようになっていった。DiscoveryやNational Geographicは池宮城先生についてのドキュメンタリー映画を撮影することにまで至った。 現在先生はよくインタビューされたり、雑誌や新聞で写真を載せられたりイベントに招聘されるようになった。有名になろうと思わず有名になったのである。
伝統空手は競技空手と違い生涯継続して練習することでその哲学の奥深さを知ることができる。 八木明徳先生は剛柔流に必要なバランスを見つけることができた。彼は生涯稽古を続け流派の伝統を弟子に伝え続けた。先生は91歳で亡くなられたしかし最後まで演武を行っていた。 首里城での八木先生の演武。
沖縄、1992年
組手は沖縄伝統空手の一環であった。防具なしでの対決は流派を代表する者の技術と精神の強さを知るため試験であった。 若いころの池宮城先生は組手を好み経験を積み強くなっていった。 あるとき八木先生は若き池宮城先生に組手をすることを禁止したその理由は組手をするたびに相手を怪我やノックアウトさせてしまうことであった。 写真:24歳の池宮城先生。手を見ればどれほど真剣に稽古していたかわかる。
ブラジル、1977年
池宮城先生は道場に伝わる伝統を守り続けている。空手を何年やっていて先生の弟子になってもそう簡単に段位を取得することはできない。 最初は池宮城先生の道場で初段試験を合格しないといけないそのあと1年後に昇段することが許される。3段を取得するにはさらに3年修行をしなくてはいけない。 道場開設の時からこのシステムは変わっていない。
剛柔流本部池宮城道場
沖縄、2019年
70年代は誰でも海外でセミナー講師をできるわけではなかった。1977年4月、池宮城先生はブラジルで9か月間にわたる剛柔流のセミナー講師を務めるために旅立った。先生の初海外旅行でのちに国際セミナーや沖縄伝統空手を普及させるために海外に行くことになり多くの国を訪れたその中には中国、台湾、インドネシア、ブラジル、オーストラリア、ロシア、インド、グルジア、アメリカ、ハワイなど。
写真:ブラジル、1977年4月―1978年2月